死んでしまえ
  

夜道。
私は、ふと「死んでしまえ…」と呟いた。
私を覆う夜空に、幾多の星が輝いていた。


今日は朝から最悪だった。
目覚ましは電池切れで鳴らなくて、ぎりぎり間に合った電車では痴漢に遭う。
午前中は訳の分からない客のクレームに潰されて、午後は店長に倉庫の整理に回された。
結局、私のしたかった仕事は何一つ出来ず閉店の時間がきた。
仕方なくタイムカードを押した後、しばらく残って仕事をして、帰り支度を始めた頃には、閉店から二時間が経っていた。
ぶつぶつと呟きながら戸締まりをする店長に「お疲れさまでした」と告げて、私は駅に向かった。
冬の空気の下、澄んだ月光が足下を照らしていた。


十時を回った電車は、酔っぱらいばかりで酒くさい。
でも、酒くさいだけなら、まだ耐えようと言う気力も起こるものだけど、座席で寝ている酔っぱらいが寝ながら嘔吐している姿を見ると、居たたまれなくて車両を変えざるをえなくて、けれど変えた先では、恋人達が人目もはばからず愛をうたっていて、更にげんなりする。
私は、宙吊り広告のさして変わり映えのしないコピーに目を走らせ、時間を潰した。
外国では人がたくさん死んでいた。


電車から降りて駅前のコンビニで遅めの晩ご飯を買う。
仕事が終わる頃には、いつもスーパーは閉まっていて、ここ一ヶ月はずっとコンビニの弁当が食卓にあがっていた。
味気ないけど、もともと料理は得意じゃないから、献立を決めて材料を買いだめすることは出来ないし、バイトを始めた頃はそれでかなりの量の食材をゴミ袋に入れたことがある。
まぁ、日替わりで違う弁当を食べてるんで、今のところ飽きはきていない。
最近のコンビニは品数も豊富だし、二ヶ月は大丈夫だと思う。


不意に鞄の中の携帯が着信を告げた。とると、それは父からだった。
電話越しの父の声は、酒が入っているようで上機嫌だった。
もっとも、酒を飲んでいない時の父と会話を交わした記憶はない。
父はいつも通り、自分で勝手に話し、勝手にテンションをあげていって、いつものように勝手に怒鳴りだした。
「…お前がどうしてもと言うから東京に出ていくのを許したが、もう3年だぞ、そろそろいいだろう?」
私は、まだやりたいことがあるんだと呟く。
「やりたいこと?やりたい事ってなんだ、お前はこの3年間、何をしてきた?
いつ電話してもバイト、バイト…何もしてないだろう。いい加減意地はるのは止めて帰ってこい。
お前を遊ばせる為に、大学を出させた訳じゃないんだぞ…」
それらの父の言葉に私は弱々しく肯定、否定の言葉を返した。
ひとしきり父は言葉をはき出し、正月には帰ってこいと言って、一方的に電話を切った。


携帯を鞄に戻して、再び歩き出した。
コンビニの袋の音がカサカサと乾いた空気の中に響いた。


私は、ふと「死んでしまえ…」と呟いた。
はたと立ち止まり、再び「死んでしまえ。」と呟く。
そして、その言葉を向けた先に気づいて、私の頬を一滴の涙が伝った。
夜を行く風が、その跡を冷たくすると私は一歩も進めなくなった。
私を覆う夜空を、月光に縁取られた雲が覆い始めていた。