「僕と河原と煙草とあの人」

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第一回


あの人は、ほんとうにおいしそうに煙草を吸った


煙草の吸えない僕を
可哀想に
と横目に見ながら
紫煙をくゆらせていた




第二回


そういえば
はじめてあの人を見た時も
あの人は煙草を吸っていた


陽が力を無くし
宵闇がひたひたと街を浸しはじめた黄昏時


僕のお気に入りの場所だった河原


オトナノニオイノシナイバショ


そこに


あの人はいた




第三回


朱の河原に
体を投げ出し
あの人は
楽しげに空を見上げながら煙草を吹かしていた



僕は


畏縮し


憤慨し




泣きたくなった


『父ノニオイ 父ノニオイ ボクヲ…』


気がついたら
僕は駆けだしていた




第四回



僕は父と祖母と三人で暮らしていた


記憶


眉間にしわを寄せ
煙草を吹かしながら
おもしろくなさそうにテレビを見ていた



祖母は
そんな父と
いつもけんかをしていた


母は
いなかった


そして
煙草くさい父の背中を
離れたところから見ていた



小学校にあがって
少したったある日の晩
父と祖母がけんかをした


第五回


父と祖母がけんかをした
翌日
学校から帰ってきた僕は
憤っている祖母と
テーブルの上に置かれた
握りつぶされて少ししわの寄った
煙草の箱を見つけた


少ししわの寄った煙草の箱には
二本だけ煙草が残されていた


可哀想に
と言って僕を抱きしめた
祖母の体は線香くさくて


離して欲しいなぁ
と、僕は
ぼんやり考えながら
テーブルの上の煙草の箱を見ていた


父が
その煙草を取りに戻ることはなかった




第六回
あの人に


その時僕は
自分が何を言ったのか
覚えてない


いや
もしかしたら
ただその時の言いようのない激情に任せて
わあわあ言っただけなのかもしれない


そんな


なんの説明のない僕の怒りを
あの人は
困惑した表情で
でもどこか楽しそうに受け止めて
言った


「煙草ある?」



第七回
「煙草ある?」


不意の問いかけに
一瞬呆気にとられたが
僕は不機嫌に首を横に振った


「そぅ…」
短い嘆息の後に
あの人は
本当に残念そうに


淋しそうに


眉をひそめた


僕は
そんなことはないのに、とても申し訳ない気になった


あの人は僕への興味をなくして
再び河原に寝ころんだ


煙草
僕は背負っていた鞄をおろした


第八回
怒鳴り散らしていた僕が
急に黙って鞄を漁りだしたのを
あの人は怪訝な表情で見ていた


鞄の奥
隅の方
追いやられて
でも決して捨てられなかった


それはあった


少しつぶれて
しわの寄った煙草の箱


それを
あの人に差し出す


不思議そうに
仏頂面の僕とそれを交互に見る


何も言わず煙草の箱を突き出して立つ僕


そして
あの人はにこりと笑って言った


「ありがとう。」




第九回
抜き取った煙草を指に挟み
その感触を愛おしむようにゆっくりと唇にあてる


ポケットから取り出したライターを
煙草に近づけ三回ちっちっと鳴らした


夕闇があたりを浸しだした河原に
小さな明かりがともる


煙草の先には夕日より赤い塊が生まれた


そして
ゆっくりと
大きく
深く
噛みしめるように
あの人は吸いこんだ


そして名残惜しそうに
細く
白い糸を吹いた


なぜか
その横顔から
僕は目が離せなかった




第十回
あの日以来
僕は学校が終わると
河原に急いだ


あの人はいつもそこにいて
煙草を喫っていた


そして
息せき切って走ってきた僕に
一瞥だけくれて
河原の先の夕陽をみつめていた


僕はあの人の横で
ただ
その視線の先と
夕陽より紅い塊を
見ていた